1965年、彼は「ハイパーテキスト」という用語を発表、1968年にはブラウン大学で Hypertext Editing System (HES) を研究、これが実装されたものが World Wide Web 、すなわち現代のインターネットになりました。
現代人の生活の一部ともいえるインターネットという技術。
しかし、その裏には、もうひとつの Web システムの存在がありました。
その名は「
ザナドゥ計画(Project Xanadu) 」。
それはドキュメントを相互に結びつける今の Web のような単純な仕組みではなく、オリジナルの情報を中心として広まったコピーをバージョン管理するような、距離と時空を超えた情報の取扱いを可能にするもの。
イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)の詩「クーブラ・カーン(Kubla Khan)」に登場する桃源郷の名前を持つその概念は、真のハイパーテキストの姿とでもいうべきものです。テッド・ネルソン本人は、ザナドゥを望み、そして世間が選び、今現在普及しているのは Web でした。
桃源郷は、その名を知る人からは幻と言われ、実現不可能で存在しない机上の「理想郷」だと言われる始末。
なぜ Web だったのか、と言われれば、その概念が非常に分かりやすく、学びやすく、誰にでも使えたためだった、ということになります。
使う人が多かったからこそ、普及した。
こんなに簡単な技術じゃなければ、誰も初期の Web サイトなど作れなかった。
作れたからこそ大勢の人に利用され、広まっていきました。
このへんの現実は、いろいろ考えさせられます。
ザナドゥではなくWorld Wide Webが普及した事実は、一見不可解である。ザナドゥ計画はWebよりも野心的なのだから。ザナドゥのトランスクルージョンは、文書のあらゆる場所の間で双方向リンクを結ぶことができるが、Webは文書全体または作者が「アンカー」と定めた場所への単方向リンクを結ぶことしかできない。ザナドゥでは、リンクが途切れることはない。なぜなら、文書はピア・ツー・ピアの形で配布されるので、404エラーを表示する必要がないからである。さらに、ザナドゥは文書のバージョン管理を扱うが、Webは扱わない。ところが、ザナドゥは実装が困難で人間の協調を必要とするのに対し、Webはファイルシステムを拡張して実装することが容易であり、個人個人が独立して参加することが可能であることが普及の差を分けた。(Wikipedia より)
ネルソン達は、「ドキュバース」や「タンブラー」といった刺激的な概念を発表することはできたものの、呪われているかのように度重なる内部分裂と金銭問題から先に進むことができず、HTTPの設計者であるイギリスのティム・バーナーズ=リー(Sir Timothy John Berners-Lee)らによって、World Wide Web(WWW)のハイパーテキストシステムを完成してしまいます。
そして著作権問題。
他人の作った著作物が簡単に共有できるような状態で本当にいいのか。
現在、ザナドゥはオープンソース化され、ソースコードが公開されています。
ザナドゥは伝説なのか、人類のコミュニケーションを加速させる希望の光であり恵みの大地なのか。
その地は冒険者を甘く誘うが、人は現在、そこに辿り着いて確かめるだけの智慧と力が無い。
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ザナドゥ計画 - Wikipedia
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リテラリーマシン―ハイパーテキスト原論 - 雑記帳